morinocoナイフを子どもたちに届けたい 刃物屋の思い
今回のブログは、私 石川刃物製作所の石川がお届けします。
刃物のまち 関
まず初めに、morinocoナイフが生まれた岐阜県関市がどういう町なのか、ご紹介したいと思います。
岐阜県関市は、日本のほぼ中央に位置し、鵜飼と清流で名高い長良川の中流部にあって、歴史と伝統を持つ全国一の刃物産地であると同時に日本を代表する世界の刃物産地でもあります。また、平成22年国勢調査における日本の人口重心は関市内(富之保)にあり、関市はまさに日本の真ん中に位置しているといえます。
関市の刃物の歴史は古く、鎌倉末期から南北朝時代にはじまり、室町時代には孫六兼元、兼定らの有名な刀匠を 生み、最盛期には300人以上の刀匠を有する刀の産地として栄えました。関の刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」 と優れた実用性を誇る名刀として多くの武将に愛用されてきました。
しかし、江戸時代になり刀の需要が低下すると、 多くの刀匠が包丁、小刀、はさみ等の打刃物鍛冶に転向し、家庭用刃物産地へと移り変わりました。そして、明治に始まったポケットナイフの製造をきっかけに近代刃物の産地として発展し、現在では台所・食卓用刃物、包丁、はさみ、ポケットナイフ、力ミソリ、ツメキリ等の多品種にわたり生産し、その約3分の1を輸出する世界的な刃物産地となっております。(関市の工業より)
ナイフメーカー 石川刃物製作所
石川刃物製作所は昭和39年創業し、ポケットナイフ(フォールディングナイフ)、ハンティングナイフを主に製造しています。関市の刃物産業は分業で、プレス、刻印、熱処理、自動研磨、木柄、バフ等それぞれ専門の工場を回って最後に弊社で組付、調整、刃付けをして完成します。(morinocoナイフの製造工程は今後ブログに連載していく予定です。乞うご期待!)
生まれも、育ちも生粋の関人(セキジン)の私は家業が刃物製造をしていることもあり幼い頃から刃物、ナイフが身近にある環境で育ちました。小学校や、ボーイスカウトでは鉛筆削りから始まり、割り箸で輪ゴム鉄砲を作ったり、木の枝でパチンコを作ったりして“刃物を使ってものを作ること”を自然と身に着けてきた気がします。
刃物離れする世の中にこそ「morinocoナイフ」を!
ふと振り返ると、年を追うごとに刃物を使うモノづくりをしなくなっていました。刃物屋をやっている自分でさえ刃物から離れていっている現実。
現代では刃物に触れなくても不自由なく生きることができます。近年刃物を使った物騒な事件が多く報道され、いつの間にか刃物は“生きるための道具”から“危険なモノ”へと認識が変わってきています。刃物を作ることに誇りを持って作っているが、世間では刃物から遠ざかっているのが現実なのです。
そんな相反する思いに悶々としていた時に、「刃物産地の関なのになぜ子ども専用ナイフがないの?」「森のようちえんで使うナイフを作ろう!」と声をかけてもらいmorinocoナイフプロジェクトがスタートしました。刃物屋をやっている以上、子どもたちでも使えるナイフをつくり届けることはとても重要なことだと感じています。
これから多くの人にmorinocoナイフを通して、ナイフの良さを知ってもらえるよう頑張っていきたいと思います。
家の子どもは、女の子10歳
2歳から小さな包丁(本物)を切れない
ように研ぐ。
3歳の時はセラミック包丁を買ってるんです
8歳で鋸と鉈を買って渡している。
今度は、もう直ぐ11歳になるので本当に切れるナイフを渡してやりたいと思ってます。
昨年からぼちぼちキャンプも始めましたしね。